ウソ日記

ない。ある。

谷啓が語る日本史を騙る

 谷啓(たにけい 本名:谷崎潤一郎 1927年〜2001年)は長野県小原村(現千曲市)に生まれ、太平洋戦争終戦の年に上京後、米軍兵相手のトロンボーン奏者などを経てクレイジーキャッツに参加しテレビ黎明期のバラエティ番組で一世を風靡した。主な持ちギャグに「がちょーん」等があげられる。全盛期の人気がなくなった後も俳優等として渋い働きをブラウン管の中で見せていたが、晩年の谷啓が日本史家としてその筋では知る人ぞ知る存在だったことは、世間一般には浸透していない。彼がそのことをメディアに取り上げられるのを極端に嫌っていたと言う話もある。
 谷啓の語る日本史は、それこそ村史、どころか部落史とでも言うものの集積であった。ある定点での時間列を執拗に追った。そして、その解釈に大局的な、時の政権がどうだとか当時の一般的な社会構造や思想宗教がどうだとか、そのような類の視点をけして持ち込まなかった。そういうばらばらに点在した時間列の束こそが彼にとっての日本史に他ならなかった。
 当然、その視点においては、定住する社会集団の姿はよく捕らえられよう。しかし、同一時間点(もちろんいくらかの幅を持つ、点、である)における空間を捕らえようとしない谷啓の視点には、移動する人間集団、いわゆる流民というものを語る余地がないといっていい。谷啓自身も、自分にはそういうものを掬い上げる気はない、と言ったという。
 谷啓はしかし、それら流民の直系の末裔とも言える「芸能人」として、最期の日までを生き抜いた。2001年の東京大震災、マグニチュード8.7の超巨大地震関東平野を襲った朝、彼は南原清隆らと共に渋谷第一ビル内で深夜のバラエティ番組のOPの撮影を行っていた。