ウソ日記

ない。ある。

ネイナド

 梁から吊り下げられた羊歯の苔玉は、この雨に濡れて暗い緑の輝きをいっそう増している。私はカフェにこもってひたすらポメラのキーボードをたたいている。後ろの方で、マスターが他の客のコーヒーを入れる音。ふんわりと、香りが遅れてやってくる。
「ネイナドはどうですかねえ」
「どうだろうねえ」
 そんな会話が聞こえてくる。ネイナド?耳慣れない言葉だ。人名だろうか?
「ソフトだからねえ」
「いかにも外国人って感じでねえ」
 外国人らしい。ソフトなのか。柔らかいのか。何がだ。ナニがか。シモに走りがちな自分の思考に心底がっかりして、私はまたポメラを打ち始める。メガネの汚れが気になるが、かまわず打ち続ける。
 2008年11月はテキストライターたちにとって歴史の転換点であった。11日にキングジムが初代ポメラ「DM10―スピネル―」を発売。同月14日には週間オリコンランキングでEXILEらを抑え文具で初の1位となる快挙を得る。27日には実売数200万を越えアメリカのCNNは「日本人が携帯を捨て始めた」と報じた。もちろんそれは言い過ぎではあるのだが、しかし確かに、私もポメラを買って以後、携帯を触らない日というのがぽつぽつとできるようになったと感じる。ポメラ自体はどこにも繋がらない。ただひたすら文章をそこに打ち込んでいくだけ。いや、文書である必要すらない、文字であればいい。文字を、ひたすら、電子と半導体のゲートへと沈降させていく。
 そうやって、テキストライターたちは貝になった。
「ケビンが来年もやってくれるといいがね」
「そうだね」
 あ、なんか普通っぽい名前。
「まあ、インサイドはコールに期待さ」
「ホワイトだがね」
 これも名前かしらん。
 ちょっと気になって、つい後ろを振り向く。2匹の犬がポメラをたたきながら談笑していた。

 貝になったテキストライターのことを、ポメラニアンというらしい。