ウソ日記

ない。ある。

檄文のヨル

 セプテンバーじゃなくても、ノーベンバーだとは言わせない。おとといお隣を訪れた高利貸しにはオコゼとネコヤナギの餌になってもらった。声を大にして言うことは、行ったことを裁かれること。越前捌き的大技を、現在のプロレス業界には提案したい。人死にを恐れるな。足音を立てないように忍び寄って、そのまま額に肉と書くような興行手段を現在のエンターテイメント業界は試みるべきであり、実際いくつかの目聡いシンクタンク企業はそれを実行している。オートマチックの公道を闊歩する昨今、エジンバラでは昔ながらのフィッシュアンドステイクが闇夜を渡るカラスのように大人たちを虜にしているのだ。しみつくべとつく地面からのコールタールが渡っていくのを体制は阻止できないのだよ。だから体制というのはいつの世も諦め気味なものだし、反体制というのはいつの世も血気盛んなものなのだ。分かったか分かれば立てよ国民たちよ。いや国の民というのはこの場合適切ではない。夜の民というべきだ。夜起きる者たちよ、睡眠障害の者たちよ!