ウソ日記

ない。ある。

古里

 怖いんです。いろいろなことがというかいろいろなことが。
 恐怖が行動指針の7、8割を占めているのかもしれないんです。

 時には段丘の平野を流れる川の岸辺にはニセアカシアダイサギなどがみられ例えば農地化されて灰がまかれる。いわゆる死の灰です。死者の身体だった物を一度燃やして余分な水分や炭素酸素を取り除きます。今年の王は豊作です。こそばゆいことがいいねいちゃいちゃいちゃいちゃと。最近舞台の仕込みとバラシを手伝う機会がありました。灯体の重さを久しぶりに手に感じました。そういうこともひっくるめて、シュートーが大体終わったとき、舞台の上から見上げると目に映る風景は好きだし、あと、劇中に袖から見た、光条がパネルや幕に散り散りにさえぎられてるさまも好きでした。思い出になりかけているものに触れられてどぎまぎしました。葉が落ちた雑木林の足音、炭焼きが移動しつつ、今年の炭を焚いています。
 どこだと思いますか? 酸素ボンベを背負って気密服を身にまとい雑木林を歩かなけりゃいけないさま、それは旧ウラジオストク郊外の跡地じゃないんですから。岐阜は旧神岡町の山林です。今では日本でもそうなってしまっているのです。
 お分かりですか? 乗客の皆様方。ステーションにまもなく到着します。ここはあなたがたの曽祖父や祖先がかつて暮らし、そしてあなた方が今現在暮らしているような環境とはまったく違ってしまっているのです。たとえ見た目がいくら同じようなものでありまた且つ郷愁を誘うようなものであっても。