ウソ日記

ない。ある。

四月詠

 イーゴイーゴの繭飼いがベネチア草を食ませるとき、ブユネッケルから来たのはマハリマンだった。棗をウォッカで食べられるように保存しておいた。今日は四月の祭りだ。永帝の年間に呂城で客死した王顛明を偲ぶ祭りだ。彼は一時このペヨケルに逗留していた。
 彼はここで多くの詩を詠んだ。コンスタンティノープルの雄壮な景観を歌った例の有名な絶句、「紺敦歌」を詠んだのも当時ペヨケルで勢いのあった商家、八氏の催した春宴の席であったという。ペヨケルとコンスタンティノープルは500Km程も離れており、実は王顛明はコンスタンティノープルを訪れたこともない。しかし俗伝でこの詩がコンスタンティノープルの第一鐘楼で詠まれたことになっているのは、そのあまりの眼前性によるものだと思う。特に尖塔群を詠んだ三行の展開は。
  マハリマンの土産は白いモッハの奴隷だった。四月の祭りでは、人々は夜通し詩を吟じ合う。もしも即座に詩を捻り出すことが出来なかったりしたら、盃を三杯乾かさなければならない。マハリマンと僕はしたたかに酔っ払ってしまう羽目になったが、白いモッハの奴隷は一回詰まっただけだった。それも、「家族」という言葉が出てこなかっただけで、その詩そのものの出来は僕のものよりもよかった。ここは当然嫉妬するべきなのだろうが、自分は詩作についてはとうに諦めているし、何より彼の作った詩は僕の好きな方向の言葉群で、しかもその裏切られ方がまた心地良い。
「いいもらい物をした。」
 とマハリマンに言うと、
「それはよかった。」
 と答えた。