ウソ日記

ない。ある。

「あの飴を手に入れたいの。」

 隣の病院は樫茅という内科医が一人で切り盛りしている。まだ若い。30を少し過ぎたぐらいだ。キヅタをコンクリートに這わせた外観は、フリの客が入りづらくはないのかと心配になる。彼自身は気さくでいい人柄なのだけど。
 例の飴は人体模型専用のバタースカッチで、中に泡がいくつか入っているのが特徴だ。君は歪みガラスの実験を見たことがあるかもしれない。溶かしたガラスを水で急冷して出来た涙滴状の塊にはたくさんの歪みエネルギーがたまっていて、一部を欠けさせると全体が吹っ飛ぶという、あれだ。その中に浮かんでいる気泡の中は真空だという話も聞かされただろう。この飴の中に浮かんでいる泡もそれに少し似ている。しかしその異質さは歪みガラスに浮かぶ真空などの比ではない。バタースカッチの泡の中にあるのは、宇宙だ。比喩ではない。それはこの宇宙の傷であり、各個の次元と物理法則を持ち、固有の時間系の中で進化した本物の宇宙だ。
 もちろんその宇宙は人体模型用バタースカッチを作る際に出来た単なる副産物で、舐めてしまえば閃光とともに消える類のものだ。本物の宇宙だけど、このお話の中ではどうでもいい。問題は彼女があの飴を欲しいと言ったことで、僕がそれをどうやって手に入れるかなのだ。