ウソ日記

ない。ある。

イカ使い(2)

イカは、エンジン音を嫌うんです。」
「そうなの?」 
「はい。・・・まあ、暴れたり、逃げ出したりするってわけじゃないんですけど、・・・嫌がってるのは、分かりますから。」
 そういって、彼はボートのエンジンを止める。
「ここから、ちょっと漕いで行きますね。」

 たぷん、たぷん、とオールが規則正しく海面を打つ。伊八島の南の岬を回ると、人気のない小さな湾がある。彼はブイの一つの近くまで漕ぎ寄せる。
「来ました。」
 海の底から、白い物体がやってくる。すぐに、詳細が分かるほどに近づく。学名Loligo gigantes、オオヤリイカだ。透明度を変化させつつ、スーッとボートの近くまで寄って来る。
「ほら、ポチ、」
「ポチって言うんだ。」
「あ、ええ。や、犬みたいなんですけどいい名が思いつかなくって。こいつは僕が名前付けたんですよ。卵のときから見てて。」
「ふーん。」
「こら、じゃれんな。」
 小さなボートは簡単にゆれる。彼は水の中に手を入れて叱る。
「すみません。」
「いや、いいよ。しかし、ひっくり返るかと思った。」
「やられるときもありますよ。特にこいつ、まだ若いから。まあこいつらは、本当にじゃれてるだけなんでしょうけどね。」
 犬とかと違ってでかいからなあ、と彼は笑う。

イカ使い漁の最盛期は、これからです。まずヤツメウナギが深海から上がってきて、次にキツネビクラゲ。ホウなんかもとれますね。それからなんと言っても、脂の乗ったサンマ。群れごと湾に追い込みます。この漁は徹夜の日々が続いて結構しんどいんですけど、まあ秋の目玉ですし。それからは、カジキやマグロなんか追ったり、そうだ、ミズナガトカゲも。よその港手伝いに行ったりもしますよ。」
 岬を回ってさっきのブイが見えなくなったところで、彼はエンジンを回す。すぐに調子のいいエンジン音が響く。気の早いいわし雲が空を半分ほど覆っている。漁船が一隻、沖から帰ってくる。父さんの船です、と彼が言う。船体は喫水の少し上まで青く塗ってある。彼の父親らしき男が、こっちに向かって手を振った。