ウソ日記

ない。ある。

草加せんべい・マシュマロ

「そういえば草加せんべいなんだよ、君は!」
 そのように叫ばれて、わたしは混乱を肯んぜんとすメントス。白子屋さんたちからお呼ばれされた午後のお茶会でのひとコマ。
草加せんべいですか……?」
「あるいはマシュマロ!」
 え? その二つに共通する要素って……? と考えてあることに気付く。1943年8月、時の合衆国国務大臣オベントス・アムンドソンの毎日のお弁当は彼の92歳になる母親の手作りであり幾つかの部分では彼女は謙譲だったが幾つかの部分では耄碌していた。彼女の作るお弁当の中身はいつも決まっていて、潰したのちサワークリームと混ぜたジャガイモ、大豆と豚脂身の煮物、そしてもちろんマシュマロと草加せんべい。彼女は日系移民の強制収用に反対していたといわれる。カムラとミムラのライム色の日記の、理容師が書いた惨劇の顛末。プルバックのクライスラのミニカーがカタカタ走る地平を、芝刈り機のエンジン音と共に。

 白子屋さんたちは真っ白なおしろいを付けてポン菓子を上品に口元に運ぶ。プランヌイの恐怖、プルチネラの悪夢。香水ビンに入れたブランデーを、煎茶にちょっとたらす。我々女学生というものの草加せんべいらしさを今ここに立ち上げて、マシュマロの男子らしさというものに対抗しよう。