ウソ日記

ない。ある。

母の日、ことり

 常日頃。

 こうかがく
 光化学。
スクールバスにはいつもの子供たちが乗って、運転手は私の父だが今日は母の日だから父には関係ない。父のネクタイはそれほどには凡庸でない色の斜めのストライプ。だれが選んだものだろう。父か、母か。妹の線もありうる。クラクションが鳴らされる。ふっと横断歩道を横切った、見えないものに対して。この手の物言いに慣らされた方はもうお気づきのことだろう。私だ。

 ふたご
 双子。
一人は生き、一人は死んだ。まあ、私がダイスを振ったのである。それはしょうがないことだ。しかし、私にとってはしょうがないことであっても、彼らにとってはしょうがないことではない。そこには私にも反省の余地がある。しかし子供のしたことだ。笑って許していただきたい。

 たいしょうせい
 対称性。
交換可能ということだ。

 ぐうき
 偶奇。
ダイスの目が偶数なら私は妹を殺す。ダイスの目が奇数なら私は私を殺す。私はダイスを振った。奇数が出た。

なにかが横断歩道を横切った。そう見えた。その、そう見えた人は私の父だ。
いや、それは父にも見えなかった。しかし、父は見て、ハンドルの中央を押した。しかしブレーキは踏まない。そのままスクールバスは通り過ぎる。横断歩道の、白い梯子段の数は17、母の日のカーネーションの八重咲きの花弁の数も17。それは妹が買ってきて、玄関の花瓶に活けた。