ウソ日記

ない。ある。

コードと記号の順に

 そういえばこのごろ月が見えない。

 ジュウゾウの住んでいるアパートの床は白くて、彼の部屋の壁は黄緑だ。ベランダの手すりは水色で、カーテンはグレーにレモンイエローの水玉。オーソドックスなコピー機が一つ、昼も夜もなくぶっ続けで動きとおしている。しゃべり言葉をそのまま、大量にコピーし続ける。ジュウゾウはときおり紙を補充し、また、トナーを入れ替える。彼のしゃべり言葉ではない。コピー機がコピーし続けるしゃべり言葉は、ジュウゾウのしゃべり言葉ではない。合間にジュウゾウはキッチンでご飯を作る。ジュウゾウはレタスのチャーハンが好き。卵と鶏ガラ風味の中華だし、レタス。冷凍の小エビを2、3尾だけ出してスープを作る。

 桜の花びらとして折り目正しい紳士のもとへ、あるいは農家の選定された果樹の、白い泡粒の綿虫として家長のもとへ。原動機付き自転車のアスファルトを削る、ガードレールの白い粉の、アドバルーンの、屋上のゲームセンターの、それら全てのもとへ、コピー用紙の言葉は届く。繊維方向へ細かく細かく分断されながら、幾重の山折り谷折り山脈とパイ生地構造のユニットとなりながら、風に乗り、あるいは街頭に人の手が手渡し、撒かれ、貼られ、流され、燃やされ、投げられ、殴られ、二つの面として、花束の覆いとして、夜具として、かきならされたギターのその距離を表すものとして、層を成し、積もりゆく。水に当たり糊は溶け出し、繊維は頑固に動かず、ただ、文字達は乖離し、朝の緩やかな対流にあおられて、存在を浮かび上がらせる。

「またいたよ、こんどはこんなのだ」
 ジュウゾウの目の高さまで、そのガラスの資料ビンを持って行ってやる。
「子? こんなでありなのか」
「ありらしいね。消化もしてない。」
 僕は、子の入ったそのビンの蓋をあける。子は、その一本足を器用に使い、外気中にジャンプする。トップヘビーであるためバランスを失いそうになるのを、腕を小刻みに振るいカウンターとする。そしてそのまま吉野家体に突入する。
「自分から喰われに行った?」
「見てなって」
 消化器官であるつゆだく連続構造が膨満し、書き換えられた筋繊維が蠕動する。次第にその複雑な文字存在は単純化され、拡散するとき、それは子、マ、レ、となる。
「困れ、だって」
「それはこっちが読んでるだけだろ」