ウソ日記

ない。ある。

ロンダリー、一度は永遠に

 サクラエビが、内海の岸辺にたどり着いた。彼は今年で19になる。6対の副足を巧みに使って葦をかき分ける。船を舫うのに使う綱は、ハシボソガラスの遺した服を裂いて綯った物だ。ハシボソガラスは一昨日死んだ。ナマコバエにやられたのだ。彼は幼生の時、ナマコ達のような姿をしている。
「こんにちは。外はいい天気だね。」
 と言いながらハシボソガラスの身体を食い破って出てきた彼を、サクラエビは黙って潰した。
 ハシボソガラスの遺したものは、さっきの綱の他にもう2つある。

 魚釣りをしている少年の横を通り過ぎて、私は藪島まで歩いていった。干潮時には堤防から藪島まで一本の道が現れる。ほんの30分しか存在しない道だ。藪島の社にはオキツネ様が祀られている。御狐ではない。沖津根、だ。カサカサに乾いた握り飯だったものを片付けて、新しいものを供える。カッパドキアから長江南西部まで、各々に忘れ去られたネの神たちとは違って、オキツネ様は今でも布良の人々の信仰の対象となっている。もちろん、私は信じたりはしていないのだが。
「あげてきたよ。」
 と、おばあちゃんに言うためだ。これをやっているのは。

「おはよう、こんにちは・・・。」
 サクラエビは呟く。彼は言葉を確認する。1からひとつずつ確認する。ハシボソガラスとの二人っきりの時間が長すぎたのだ。ハシボソガラスと二人で船の上にいるとき、言葉は必要ではなかった。ペーパーナイフと鯨の骨だった。ハシボソガラスが遺したのは。100円で買える類いの物だ。夏に海に行くと、砂浜の露天で売っている。

 私が彼に買ってあげた。

 おばあちゃんの最後の子供であるハシボソガラスを連れて、私はよく砂浜まで行ったものだ。ハシボソガラスは良くできた子だった。中学のときは、市の書道コンクールで最優秀賞も取った。
「朝、昼、カスタネット、僕、・・・。」
 サクラエビの呟きはまだ終わらない。サクラエビからハシボソガラスとのことを聞いたのは、もう少し後になってからのことだった。ハシボソガラスはおばあちゃんの家を出てから死ぬまでの間のほとんどの時間、彼と共に過ごしたのだ。