ウソ日記

ない。ある。

ウエダハジメ

 ふとした瞬間に相手が見せる無防備な姿にキュンとなってしまうのは恋愛マンガの常套手段ですが、助手席で靴を脱いで靴下の足をトラックのボンネットに乗せる26歳男性(妻帯者)には不覚にも萌えてしまいました。それはさておき。

 先日のエイプリルフールに、ウエダハジメファウストの表紙および本文イラストを担当するという情報が出回ったわけですが、その根拠となったメールマガジンファウスト30号の内容には賛同しかねます。むしろウエダハジメは漫画文法の正当な後継者だと思うのです。というか他のマンガ家が文法を使うことに対してサボりすぎなんですよ!! 実際、夏目房之介いしかわじゅんなんかが思い出語りでよく言及するマンガの青年化時代、今では絵本の方が有名な佐々木マキあたりが突っ張ってた頃からいろいろやらかしてマンガの幅を広げてきた一部の芸術系の連中にとどまらず、コマを絵の一部として解釈し幅を広げてきた少女漫画の系譜、絵とコマと語りの概念が溶け合っていった同人グダグダ画面の系譜、そういうものはそれぞれ各所でそれなりの量の描き手と読者を持ち、長方形の一定の幅の線のコマ内での技法だけを洗練させていった割と目に付きやすい部分のマンガ群(少年、青年マンガと置き換えることもできましょう)がそれのみに邁進している間着々ともう少し広い範囲のマンガというものを進化させつづけていった訳です。そのような広範な土壌を、ちゃんと少年の物語を語るために使ったのが彼だと思うのです。けして突発的に出てきた人ではないし、分からないマンガになってしまっていることもないと思うのですがどうでしょう。というか、初めてFLCLの単行本読んだときに、「何だこのスゲエ『よく分かる』マンガは!!」とすら感じたんですが。本当分かりやすいぐらいに、コマや絵の配置による目の動き、それに因った表現をしてくれてますよ。そしてそれは、手塚あたりからさまざまな枝分かれや統合を経て脈々と連なるマンガ文法の一番基本部分だと思うのです。基本がしっかりしてるので、それが新しさに見えてしまう。それは皮肉な逆説でもありますね。開放と圧縮のほとんど教科書みたいにも読めます。特にフリクリの方は。